草本雑記

ホオノキの花

「森のこだま」の長老の話。
現代では貴重な、山と共に生きてきた方です。
生活そのものが自然と密に関わってきた、植物の記録です。

草本雑記

大荒川沿いの道を上流に向かっていくと、林の縁に沿って、背丈の低い木々が生えている。川が南側で、陽がよく差すので、木々は川の方へとなびいて伸びている。

ヤマザクラ、マユミ、コマユミ、ガマズミ、チャボガヤ、オオバクロモミジ、クロウメモドキなど。
その奥の方に、タニウズキの花が咲いていた。ピンク色の花をたくさんつけて咲くが、サクラの花を見に来る人たちには、まるで見向きもされない。この花は、昔からズクナシと蔑まれてきた。火事花という地方もある。しかし、私の母が若かった頃、その若葉を糧飯に炊いて食べたことがあるそうだ。飢饉の時のために、俵につめて採っておいたという話を聞いたことがある。
子どもの頃は、雪が消えると、真っ先に杉山に行って、冬の間に枯れ落ちた杉っ葉拾いをした。そして、それと同時に柴山が始まる。一年分の焚き物を確保するためだ。柴山は、4,5軒共同で地主から木だけ買って、分ける。太い木は、薪にして、柴は、一束ずつ縛ってまとめておく。しばらく置いて、軽くなった頃にそれを担いで家へ持ってくる。雑木林が15,6年経って切ると、次に出てくる芽が勢いよく伸びるよう、昔から受け継がれてきた里山更新の施行だと言える。

運びやすいように柴山は人里の近くにあり、杉山はその奥にある。杉山は50年に一度くらいに切って、建築材として売られたり、自分の家の建て替えなどに使われる。祖父が山の仲買をやっていて、山の杉がきれると、その跡地を焼いて畑にして、また杉を植える。山焼きは真夏だった。それと切った木の枝や細い木などは炭に焼いた。畑は、新畑から作る作物は、だいたい順々に決まっていた。面積が広いと親戚などと一緒で、小屋掛けをして、耕作地の面積を分けあった。山に田圃もあって、稲も作っていて、谷川の水を温めるために、水田の始まりの沢は、スゲ田になっていた。夏の盛りにスゲを刈って干し、冬になるとそれで筵(むしろ)を織った。山の仕事は、それぞれの場所や季節ごとに何かしらの仕事があって、飽きることがない。特に、山菜採りは楽しく、家内中、競争して穫りあっていた。奥山に、シシウドの群生地があって、田植え前になると、その草を刈りに行って、田圃に肥料として使っていた。祖母はどこから聞いてきたのか、その他に田圃で鯉を育てたり、サトウキビを作ったり、いろいろなもので飴などを作ったりしてくれた。父と兄は、キノコ取りが得意で、私も負けまいとついて行った。大きくなって、兄がヤマイモ掘りに連れて行くと、それにも熱中した。
ヤマイモ掘りの経験は、自然を知るために、いい経験になった。土の中を掘るので、いかに土の状態がヤマイモの成長に大切だということ、蔓の絡まる林の状態などと尾根筋の高見から眺めて、その日、掘る場所を決める。穴を掘るのだから、楽ではない。草や木の根が邪魔をしていたり、石や岩に突き当たったりもする。しかし、そのお陰で、いままで見えなかったいろいろなものも見えてきた。
また、キノコとりも、いろいろなことを考えさせられました。昭和30年頃になって、キノコがだんだん出なくなってきたのに気づくのです。20歳近くで、それまでの経験から、キノコの種類がどんなところに出るのか、どういうことを勘で理解するようになって、林の様子でどんなキノコが出ているかがわかるのです。
たとえば、ダイコクシメジは、いまはまったくの幻のキノコになってしまったが、子どもの頃は篭いっぱいに採れ、父は、そのキノコの出る場所を誰にも知らせません。ある日、私たちにせがまれた父は、私と兄を、その「十八番(おはこ)」と呼んだ場所へ連れて行ってくれました。いまでもその林の中の様子がはっきり浮かんできます。アカマツがまばらに生えた雑木林の尾根筋の明るい場所で、地面に苔が生えています。ヒサカキ、リョウブ、ナツハゼ、コナラなどが生えていて、藪の近くに杉の木が1本ありました。父は、その杉の木を指さして、「これをよく覚えておくんだ」と言いました。ダイコクシメジは、大黒様のようにふっくらとしたのが、いくつも寄り集まって生えていました。しかし、それから10年くらいも出たと思いますが、今はまったく出ません。日本中、どこにでも出ないそうです。赤珊瑚のようなトリアシも同じ頃から姿が見ることができません。やはり、赤松混じりの雑木林に道を作って、並んでいたものです。しかし、秋にそれが思い出されると、今でもそれが懐かしく似たような林があると、探しに入ってみることもあり、去年、子どもの時、穫ったことのある同じ場所でセンボンシメジを見かけたので、今まで出なかったキノコ類も、また出るようになるようになるのかと希望は持っています。
キノコの出なくなった原因には、その土地の空気が悪くなったからでしょう。今まで出ていた津川(現在の阿賀町)の雑木林の近くに高速道路ができたら、がらりとキノコの種類が変わりました。林の地表に出るキノコは出なくなり、その代わりに枯れ木に出るナメコやヒラタケがたくさん出るようになって、去年、今年といこいの森でもヒラタケが出た。ハタケシメジも見つかったが、あれは地中の朽ち木に出るキノコなのだそうだ。しかも、その姿はダイコクシメジによく似ていて、それを見つけると、いつもドキドキしてきます。

父から譲り受けた山は、伐採跡地だったので、切り残った残材の整理が終わると、クリの木を植えたり、傾斜の緩いところは畑にして、いろいろな野菜を作っていたが、しだいに山野草の咲く山になってきた。山野草のブームがあって、山からいろいろな花が消えかけてきて、何とかそんな花を自然のままに増やしてゆければと思った。杉材があったので、ユキワリソウ、クマガイソウ、エビネ、畑の跡には、シラネアオイ、湿り気の多い沢地には、サクラソウ、クリンソウ、ユリワサビなどを植えて、数年経つと結構見れる花畑のようになった。絶滅が心配な草花も人が手入れをすれば、再び増えるのである。しかし、一人での手入れは苦労で、身体の方が続かなくなる。畑は、5,6年もすれば地が痩せてきたり、カラスや狸などの被害を受けるようになってきた。

ニホントカゲ

しかし、数年もたって見て、畑にトカゲやミミズ、アリなどの小さな動物たちの姿が増え、子どもの畑の周りによく見ていたカラスノビシャクやイガホウズキやスミレ類も花畑の仲間入りをしたり、草を刈った跡には、ワラビやゼンマイやウドなどが生えてくる。ゼンマイは、あちこちから根ごと集めてゼンマイ畑にし、ミョウガはそのまま増え続けて、今は穫りきれないほどになった。畑の周りにオミナエシやオトコエシ、ホタルブクロも生えてきた。ウメを植え、その種から次々、またウメの木が増えてくる。山には病気がなく、消毒をする必要もなかった。
家から車で1時間近くかかって、県道から谷間の林道沿いには、まだ田んぼが続いていた。それが年々、休耕田になり、草が生え、やがてスゲやヨシ藪になって、ハンノキやネムノキさえ大きくなってくる。林道の人通りも滅多にない。夏草が繁って車が通れなくなり、崖が崩れて1年近く通行止めになった。歩いて行くと、道草の変わりように興味を持った。子どもの頃、奥山にあったミズやシシウドが下の方へ降りてきて、イタドリやカラムシやツリフネソウなど競い合っている。山が荒れて、人通りが少なくなると、大型ゴミを捨てていく人が増えてきた。今年から林道の入り口に鎖を掛けて、車が入れないので、県道に車を置いて歩いて行く。身体に堪えた。そして、やはり心配になるのが、山の草花のことが気にかかっていた。


アカシデ。春先、灰色の幹から空に広がる細い枝先の芽吹きとともに、ほんのり赤みを帯びて細かく垂れ下がって咲く花が、離れてみると赤く見えるので、アカシデという。幹が強靱な感じのうねりが出たりして、盆栽にする。ゾロと呼ばれている。材が丈夫なので、農具の材料に使う。

エノキ。水気の多いところによく生える。10年ほど前、阿賀野川の河川林の調査をしたときの大木は、ほとんどエノキだった。新潟市には榎町があって、エノキは里の木だったと思う。大きく繁って、目印になったり、陽陽になったりして、昔、一里塚にも植えられた。子どもの頃、エノキ鉄砲を作って遊んだ。
いこいの森の巨木が、エノキである。

ケヤキ。エノキと同じように里の木である。神社や公園などに大きく育っていたが、戦争中に供出させられたものも多い。建築材に使われる。

サクラ。いこいの森のサクラは、ヤマザクラとソメイヨシノがほとんどで、そのいずれのサクラも老年期にさしかかっている。サクラは、他の木に比べると短命で、特にソメイヨシノは50年くらいとも言われている。いこいの森には、その他、エドヒガン、カスミザクラ、オクチョウジザクラ、ウワミズザクラなどがある。木材は、美しくて、家具などに多く使われている。工芸品で、秋田県の樺細工は、ヤマザクラの皮である。

コナラ。人里に近く、標高の低い雑木林に多く生えて、コナラ帯を形成する。主に、薪炭林として15年周期ぐらいで伐採されて、更新され、繰り返されてきた。一般的な雑木林の主木をなす。最近になって、薪を使うことがなくなって、その周期が崩れると、雑木林は老齢化して、たとえば、昔から地表に生えていたキノコ類が生えなくなり、枯れてきた木に、ナメコやヒラタケなどが生えてくる現象が出てきた。

アカマツ。昔のいこいの森を知っている人に聞いたのだが、公園ができる前は松林が多かったという。それが50年たって、ところどころに大きな木は残っているが、ほとんどの木が枯れかかっている。周辺から松枯れが押し寄せてきて、マツタケの出たという隣の赤松山も赤茶けて見える。いこいの森の松は、近くを通ると危ないので、この2年の間に半分ほど切った。マツは、火力があるので薪にする。樹枝の多い根は、かがり火にして、戦争中はパインオイルに精製した。山に松の古い根株を取りにいって供出されたこともある。
焼き物の山地の周辺の山は、昔から松林が多い。

スギ。五頭連山から吹き下ろすダシの風は強く、家の周り、畑の境などに植えた風よけのスギがあちこちに残っている。畑江の集落にあるそれとわかるスギは、木と木の間隔が狭いので、それとわかる。
スギは、真っ直ぐに伸びるから、その名がついたと聞いた。大荒川沿いに林道を上っていくと、大きなスギが何本もそびえ立ち、山の神が祀られている。樹齢が数百年たっているだろうか。宝珠山の虚空蔵尾根の東の谷へ少し降りていく雑木林の中には、天然杉と呼ばれているスギがある。積雪のため、根元から何本もの幹とも枝ともわからないような太い枝分かれして伸びて、力強さが伝わってくるスギだ。昔のスギが残っているのは、この場所が神域だったせいか。雑木林も大きく、北限だといわれているナツツバキの幹の模様も美しかった。

アズキナシ。大昔、山で食べられるもののほとんどをナシと言っていたようである。秋になると小豆粒ぐらいの実がなり、雪が降り葉が落ち尽くした枝先に、赤い実だけが残って、美しいと思ったことがある。雪の上にもたくさん赤い実が落ちていたので、ひろって食べてみたが、うまくはなかった。

アオハダ。アオハダも、赤い小さな実が秋には実るが、黄葉が美しい。木肌が白っぽく垢抜けた感じで、すっと伸びる幹もいい。

ヤマモミジ。高木の多い林の中では、中木の位置で、その紅葉が美しい。しかし、他の雑木林に比べて少ないのが残念だ。紅葉の種類もたくさんあるが、ここではヤマモミジだけなのも残念だ。

イタヤカエデ。紅葉の仲間で高木になる。森の奥に1本、秋になって黄葉して目立っている。奥会津でイタヤカエデから取ったメープルシロップをご馳走になったことがある。阿賀町で新芽が美しいイタヤカエデを見ていたら、土地の人から、花の木だと教えられた。黄色い花と葉が、花が咲いたように美しかった。

アカメガシワ。カシワは、物を包むほどの大きな葉の意味で、アカメは芽吹きから葉が開くまで赤く染まっていること。昔、その美しい葉を皿代わりに菜を盛った。菜盛葉という地方もある。
陽当たりの地が好きで、たまたま一斉に生えて、アカメガシワだけの純林をつくることがある。五頭の旧スキー場の一部にそれが見られる。

ヌルデ。ウルシに似ているヤマウルシより大きくなり、それに触れるとかぶれる人もいる。秋、葉が落ち、枝先の小さな実が黒々と残ると、その黒さの中にうっすら白い物が見えてくる。塩である。それを舐めていたら、子どもの頃、私も舐めて遊んだことがあると女の人が言った。私と同じ年頃の人であった。観察会の時である。

ミズキ。畑江の森の木り香さんの家の近くに1本ある。ミズキは、小正月の団子差しの木で、小正月が近づくと雪の中、山へ木を取りに行く。冬の枝は、赤みを帯びて横に広がって、その先々に紅白の団子を刺し、せんべいをぶら下げたりして賑やかに神棚のある茶の間いっぱいに飾り立てる。
この木の特長は、枝が水平に伸びて、花が咲くと、段々に見えることである。花は白く、初夏の緑の中で目立っているが、いこいの森には見当たらない。これによく似た木で、クマノミズキがある。

クヌギ。コナラの実は鉄砲玉のようだが、クヌギの実は丸くて少し大きい。樹皮が凹凸で荒い。カムトムシが樹液を求めて集まってくる。シイタケの原木となる。

シラカシ。常緑の高木で、暖かい地方にあったのだが、温暖化の影響で近年見られるようになってきた。ソヨゴ、ウラジロガシ、シロダモなどもそうである。

ハイイヌツゲ。いこいの森の雑木林の下にある灌木の一つで、繁殖力が強い。葉が細かく、常緑で庭木にもされている。材は強く、そろばん玉や印鑑材用になるのだという。

ヒサカキ。神棚に活ける常緑樹で、サカキの代わりにヒサカキを使う。

ヒメアオキ。北海道や本州の日本海側に多い。これが繁って視界が悪くなって、切っても切ってもまた伸びてくるといった、やっかいな木である。赤い実は美しいが、小さな花もよく見ると美しい。

キヅタ。ナツヅタが紅葉して葉が散るのに対して、冬も常緑のままなので、フユヅタともいう。最初、この森へ来ての第一印象は、高い雑木に絡まっているツタ類の多さだった。それに枯れかかっている木の多いこと。何とか早く、そのツタ類の原始の呪縛から解き放してやりたくて、ナタとノコギリを持って、ツタの根元を切り、張り付いた根をはがしていった。川伝いに半分ほど行って、振り返って、自分のやっていることが果たして正しいのだろうかと疑問が起こってきた。それほどツタのことを知っているわけでもない。延々と続きそうな仕事に疲れもあって、なんとなくこれから切ろうとするツタの絡まる立木を眺めていた。すると、そこに違ったツタがあって、はっとした。隣の薬草園に行って、テイカズラの元に立って眺めてみると、やはりそれはテイカズラである。藤原定家いわれの白い花が咲く。その時切り残したツタの木は、夏の初め、新緑の林の中に、純白の花をつけて、高い木から滝のようになって落ちている。

コブシ。ヤマザクラの花とほぼ同じ頃、山の森のあちこちから咲いてくる。里山の杉林の中から姿を現して、こんなところにコブシの花がと思わせる印象的な花の木で、コブシの木は、サクラのように林にならないで単独な木で生えていることが多い。
畑江の森の木り香さんの家の近くに1本、いこいの森の薪小屋の近くに1本ある。冬の初め、枝先には翌年の花が膨らんでいる。白い花が咲き、その花の多い少ないによって、作物の出来不出来を占う。宮沢賢治に「マグノリアの木」という作品があって、静養ではマグノリアというらしい赤ん坊の握り拳がコブシの実に似ているので、日本ではコブシと名がついたそうだ。

ホオノキ。大きな葉は、街の市場に行くと、乾かしたホオの葉がぶら下がっていて、油揚げや干物の魚など、さまざまな物を包んでくれた。山元の農家には、屋敷近くにホオノキがあって、田植えの忙しいときには、あにぎりや魚を包んで、畦道で食べた。香りがよくて、野の味というのだろう。
ホオの花は、車座につく葉の中心に、こぶし大の白い花がぽっかりと上を向いて開いている。下から見てもわからないので、離れて横から見ると始めて見つけられるほどなのだ。花の数も少ない。

ホオノキは成長が早く、大木になって、材は素性がよく、狂いがないので、俎板や製図板などに使われてきた。

ハンテンボク。ホオやコブシなどのモクレン科の木であるハンテンボクは、北米原産で、明治時代に日本に入ってきた。公園などに植えられたが、母校の農林学校にもあり、種をもらってきて、苗を山に植えたことがある。上京して上野の博物館前の大きな木に圧倒された。そして、また、いこいの森の入り口近くにあるその木にも同じような感慨を持った。木は、秋取清水へ行く道の入り口にあって、藪の中にあるただの大木としか見えなかった。太い幹にツタが巻き、クズが下枝に絡まっていたので、それらを切り払ってやると、たしか記憶にあったハンテンボクだとわかったのである。
その木の下を通って、県道沿いの荒れ地の中に、小道を作って、畑江の森をつくろうとしていた。初めの春、県道脇にシバザクラを植え、ハンテンボクの下の藪を切り払って畑にして、ヒマワリとコスモスの種をまいた。
荒れ地には、キクイモの花が咲いた。オオウバユリの花が咲いた。桑の木が残っているのを見ると、開拓地の畑の跡であったことがわかる。
昭和21年に入植して、その頃、記念のために植えられたとすると、ハンテンボクは70年は経っていることになる。いま、ハンテンボクは公園樹や街路樹として、そんなに珍しいものではないが、20年代では珍しかったはずだ。この新しい木が希望の木だった気がする。
ハンテンボクは、葉の形が半纏に似ているのでつけられた名前。花は、淡緑黄色で基部がオレンジ色を帯びる。茂った葉に隠れたように咲くので、うっかりすると見過ごしてしまう。奥ゆかしい花だ。

カキ。木り香さんの近くに、カキの木が1本残っている。秋になると赤く色づき、懐かしい昔の農家の庭先を思い出す。どこの庭にも柿の木だけはたくさんあって、しかも早生柿から晩手の柿。渋柿。甘柿。食べ方も、さわし柿。干し柿。つつこ柿(藁苞に入れてつるしておき、柔らかくなって食べる)。焼き柿。こうせん柿。豆柿を香煎で練ると甘くなる)など。甘い菓子がなかった頃の話である。また、酢を作ったり、柿渋で塗料をつくったりもした。
いこいの森にも1本あるが、実がなったのを見たことがない。雑木林の中で、たぶん猿が種を落としていったのだろう。木り香さんの柿の実も、猿の群れが来て奪っていってしまうそうだ。

クリ。いこいの森の奥の道を歩いていたら、シバグリの毬がたくさん落ちていて、実を拾おうとしたが、どれを取っても食べられそうもなく、虫に食われたりして、茶色に腐りかけたものばかりだった。上を見ると、細い枝先に小さな瘤がいっぱいついていた。クリタマバチが卵を産んだ跡である。
昭和30年頃、私は林学生で、学校から1時間も歩いて、ある栗園でその説明を受けた。ヨーロッパから入ってきたのだという。たちまちクリタマバチは日本に蔓延して、日本中の山のクリまで、その被害を受けることになる。山里の家で、秋になると、まだ暗いうちから山へ栗拾いに行き、それを市場で売っていた母はがっかりした。小さい頃から祖母や母について行った私は、今でもどこに大粒の実のなるクリの木があるか、甘い実のなる栗の木があるか知っている。カキの木と同じように、屋敷の周りにも何本もあった。定年近くなって、父から山を貰って、クリの木を40本ほど植えた。優秀な品種とのことだったが、あまり実がならなくて、カミキリムシの被害を受けた。その木を切って、接ぎ木をした木が大きくなって、大きな実がなってきた。しかし、山が遠いので、ほとんど動物たちの餌になってしまう。そして、クリの実も子どもの時のように食べなくなってきた。